重要ポイント
1. 父の信念:教育と自立
「教育ほど大切なものはない。父親の身分にすがって鼻を高くするな。誰よりも優れていると思うな。召使いや乳母が『王子様』『お姫様』と呼んでも気にするな。そんな時代は終わった。今は父親が誰だったかではなく、自分自身が何を成し遂げるかが問われるのだ。」
サズデの父、カジャール朝の貴族アブドル・ホセイン・ファルマン・ファルマイアン王子は、36人の子どもたち、娘たちも含めて、教育と自立の重要性を深く植えつけた。莫大な富と地位を持ちながらも、彼は特権が生存を保証しない変わりゆくイランを見据えていた。血統ではなく、個人の努力と成果こそが価値を決めると強調したのである。
当時の貴族階級としては異例の教育方針で、男女問わず厳格な学問と身体訓練を受けさせた。泳ぎや乗馬、困難に立ち向かう勇気を教え、人生の荒波を乗り越えるための自己完結力を養った。この過激とも言える教育は、父の庇護がなくなった後も子どもたちが内なる強さを持つための準備だった。
「パンと塩の絆」と呼ばれる共同体意識も育まれた。邸内には千人を超える使用人や従者がおり、最も高位の息子から最も卑しい召使いまで、皆が父に依存し、責任を共有する不解消の結びつきがあった。この正義の縮図とも言える環境は、サッタレの後の国家への志望に深い影響を与えた。
2. 「ザイフェ」への挑戦:女性の生きがい探求
「サズデなら説明してくれたかもしれないが、彼と二人きりで話したことはなかった。たとえできても、気高く威厳ある父にそんな親密な話をする勇気はなかった。ただ待つしかなかった。学校でこの謎の答えが見つかるかもしれないと。」
サッタレは活発で意志の強い少女だった。ペルシャの伝統的な女性像「ザイフェ」(弱き性)に反発し、控えめで自己主張しないことを求められる役割に窮屈さを感じていた。敬虔な母は男児と遊ぶことを許し、平等感を育んだ。父の教育重視も相まって、彼女はアンダルーン(女性の居住区)の枠を超えた人生を望んだ。
父の「留学は金の無駄。女だ。女は何にもならない」という軽視は深い屈辱だった。この言葉が女性の可能性を証明したいという決意を固め、国に貢献できる教育を追求する激しい意志を燃やした。
アメリカの女子校は、踊りや音楽、自由な議論を重視し、敬虔な家庭とは対照的だった。多様な視点や「アザーディ」(自由)の概念に触れ、単なる拘束のなさ以上の意味を知った。宣教師診療所で目の当たりにした貧困の現実も、知識と生きがいを求める原動力となった。
3. レザー・シャーの近代化の矛盾
「新しい支配者は厳しかったが、無秩序を秩序に変えたことは誰も否定できなかった。」
レザー・シャー・パフラヴィは英国の陰謀によるクーデターで権力を握り、混沌としたイランに前例のない秩序とインフラをもたらした。道路や鉄道、学校を建設し、西洋式の近代国家を目指した。しかし政治的自由は犠牲となり、反対派を弾圧し独立機関を廃止、恐怖政治を敷いた。
強制的な世俗化政策も行い、ベールの禁止や男性への西洋帽子の強制など、宗教的伝統を直接攻撃した。聖職者の影響力を削ごうとしたが、敬虔な女性やバザール商人ら多くの人々を疎外し、イスラムへの攻撃と受け取られた。
専制と不正義を伴いながらも、カジャールの土地没収や反対者の殺害(サッタレの異母兄ノスラトドレも含む)を行った一方で、国家統一とインフラ整備の功績は否定できない。1941年の連合国による退陣は彼の権力の脆弱さと国民の根深い怨恨を露呈し、真の民主主義への準備不足を示した。
4. アメリカ:自由の灯台、幻滅の源
「アメリカは、他の指導者の成長を許さなかった指導者を押し付け、彼が生き延びられない事態に対する政策を持たなかったように見えた。」
サッタレや多くの啓蒙的イラン人にとって、アメリカは「地の果ての国」として誠実さ、利他主義、自治への献身を象徴し、搾取的な英国やロシアと対照的だった。W・モーガン・シャスターやウッドロウ・ウィルソン大統領のようにイラン主権を支持した人物たちへの敬愛と期待があった。
アメリカ到着は文化的衝撃と深い洞察の連続だった。豊かさ、壁のない開放的な家、教室やメディアでの自由な表現に驚嘆した。アメリカ人の「イニシアティブ」と共通の目的のために団結する力を目の当たりにし、開かれた対話と集団行動が自信と進歩の基盤であると理解した。
しかし1953年のCIAによるモサデク首相のクーデターで、この敬愛は深い幻滅に変わった。かつての道徳的盟友が石油と反共産主義の利害でイランを操る外国勢力となり、シャーの抑圧体制を支援したことでイラン人の信頼は崩壊し、反米感情が根強くなった。サッタレは国家は自己利益のみで動くと結論づけた。
5. ソーシャルワーク:国家の基盤づくり
「イランの人間的苦難と闘うための武器を見つけた。」
国連での学びと実務を経て、サッタレはイランの貧困、識字率の低さ、疾病に対処する最も効果的な手段としてソーシャルワークを発見した。抽象的理論ではなく、個人とコミュニティの自立を促す具体的な方法であり、慈善依存ではない。これが彼女の使命となり、イランに専門職を確立しようとした。
テヘランに戻り、独立した「マダドカル」(助け手)養成機関としてテヘラン社会福祉学校を創設。衛生、栄養、家族計画などの専門技能だけでなく、市民責任、地域への忠誠心、批判的思考も重視した。これらはパフラヴィ政権下で抑圧されていた資質である。
孤児のリハビリや地域福祉センターの設立など初期の成功は、組織的社会プログラムの力を示した。最初は内気で分裂していた学生たちが献身的な専門家に変わり、社会の尊敬と信頼を得た。多くの困難と官憲の無関心を乗り越え、イラン人が共に問題を解決しより良い未来を築けることを証明した。
6. 政治権力との危うい綱渡り
「過去を無視する決意をした。」
シャー政権下で独立機関を設立するには繊細なバランスが必要だった。追放されたモサデクの親戚であるサッタレは、学校の誠実さを損なわずに政府の支援を得るため、政治を避け家族のつながりを活用した。
モハンマド・レザー・シャーとの重要な面会は緊張と個人的歴史をはらみつつも、資金と公式承認を獲得した。サッタレの率直さと社会福祉の実利を強調する姿勢は効果的で、シャーの「優秀な」機関への認識を挑戦しつつも進展を促した。このやりとりは、シャーが人間開発の理解は乏しくとも目に見える成果を求めていたことを示す。
非政治的立場を守ろうとしたが、学校は常にサヴァク(秘密警察)とシャーの専制の影にさらされた。テヘラン大学の暴力的襲撃や改革派の投獄は反対の危険を物語る。学生の安全と学校の使命を守るため、厳格な非政治的行動を徹底せざるを得ず、抑圧に満ちた社会での困難な妥協となった。
7. 革命の予期せぬ裏切り
「シャーの退陣は皆の手の内を明らかにし、人々の本性が露わになった。」
シャーの「白い革命」は一部の進歩をもたらしたが、経済格差、政治抑圧、文化的疎外を解決できなかった。インフレ、失業、新興富裕層の派手な生活が不満を煽った。亡命中のアヤトッラー・ホメイニはこの怒りを巧みに利用し、シャーをイスラムの敵、西洋帝国主義の手先と描き、「没落者」への正義と繁栄を約束した。
シャー退陣とホメイニ帰国の熱狂はすぐに混乱と復讐心に変わった。サッタレは秩序の急速な崩壊を目撃し、自身の学生たちも「抑圧者」への攻撃に加わった。元役人の公開処刑や略奪が横行し、社会は機会主義と報復欲に支配され、約束された正義は遠のいた。
サッタレ自身も「帝国主義」や「シオニズム」の無意味な罪で学生に逮捕され、深い裏切りを味わった。築き上げた信頼は脆く、イラン社会の根深い恩知らずさが露呈した。彼女の生涯の仕事である社会福祉学校は接収され、その理念は歪められ、心を砕かれ国民の本質を疑うに至った。
8. 変わりゆく時代における誠実さの代償
「人は自分でできることをすべてやった後にのみ、神に助けを求めるべきだと常に信じてきた。」
尋問の中で、サッタレは信念と誠実さを問われた。死刑の脅威にも屈せず、家族計画の仕事やあらゆるイラン人への支援への献身を守り抜いた。命を賭しても真実を貫く姿勢は、父から受け継いだ価値観の表れだった。
意外な釈放は、モサデクの盟友で尊敬される聖職者アヤトッラー・タレカーニの介入によるものだった。彼の革命初期の複雑で矛盾した性質を示し、刑務所での無私の働きや勇敢な行動を知る彼の人間的判断が功を奏した。
しかしこの経験は深い傷を残した。学生たちの裏切り、同僚の機会主義、混乱の中で、イラン人の本質的な善意と協力の可能性への信念は砕かれた。理想主義は抑圧と不安定さに慣れた社会の根深い不安と自己利益に盲目だったことを悟った。
9. 亡命:国家混乱の中の個人的選択
「長く戦っていたことを認めなかった戦いに敗れた。アシュラフィが知らなくても、ペルシャの歴史が私を打ち負かしたと今は知っている。」
革命は当初、正義と自決の希望の灯だったが、無法で残酷な「ハルジョマルジ」へと堕ちた。元役人の処刑、少数派の迫害、恣意的逮捕の恐怖が続き、サッタレは公然と活動できなくなった。愛するリンゴ園と家は没収され、家族の危険は増した。
残留を望みながらも、増す脅威と家族の安全を考え、亡命を決断せざるを得なかった。タレカーニの側近を通じた穏やかな助言が現実を示し、亡命は逃亡ではなく、復讐と分断に飲まれた国に貢献できなくなった者の選択だった。
イランを去ることは苦渋の決断であり、生涯の闘いの個人的敗北だった。しかし自立の重要性、誠実さの価値、真の変革は外部の救済や政治的激変からではなく内から生まれることを胸に刻んだ。希望は娘と孫に託し、いつの日かより公正で安定したイランに戻り、ペルシャの遺産を継承することを願っている。
レビューまとめ
本書は、一人の女性の驚くべき人生と20世紀イランの歴史を豊かに描き出した回想録として、批評家から圧倒的な称賛を受けている。多くの評価者は、本書の政治的視点のバランスの良さや生き生きとした文化的洞察、そしてイランにおける社会福祉の創設に挑んだ著者の並外れた勇気を高く評価している。ペルシャ語圏の批評家は、カージャール朝およびパフラヴィー朝の時代を率直に描写している点を特に支持する一方で、著者の背景に起因する偏りが時折見られるとの指摘もある。イスラム革命を扱った劇的な最終章は、特に引き込まれる内容としてしばしば言及されている。多くの読者は、本書を現代イランを理解するうえで必読の書と位置づけている。